上野日記

自分が主人公の小さな物語

東野圭吾の『さまよう刃』を読んだ

東野圭吾の『さまよう刃』を読んだ。2004年に朝日新聞社より刊行された、長編小説だ。本書は2008年に角川書店より文庫化されたものだ。150万部を突破しているらしい。2009年に寺尾聰主演で映画化された。

8月12日に放送(地上波初)されたので録画し、それを観る前に原作をと思い古本屋で買ってきた。図書館でも時々見かけたのだが、余りにも分厚かったので借りるのを躊躇していた。

高校生の一人娘を少年たちに強姦され殺される。妻を早くに亡くし、肉親は娘だけだった。父親の元に密告電話が掛り犯人の手掛かりを得る。そして娘の仇を取るため復讐に走る。少年犯罪の被害者の思い、法の虚しさを軸に物語は描かれている。

〈法律は人間の弱さを理解していない〉、〈間違った道に進んだ少年を更生させることは重要だが、その過ちの被害者の心の傷は誰がいやすのか、という視点が現在の法律から抜け落ちている〉、〈法律って一体誰のためにあるんだろう〉、刑事は〈自分たちが正義の刃と信じているものは、本当に正しい方向を向いているのだろうか。向いたとしても、その刃は本物だろうか。本当に「悪」を断ち切る力を持っているのだろうか〉と疑問を持つ。

以前読んだ『手紙』も考えさせられる小説だったが、これも「何が正しいのか」と考えさせられる小説だった。そして、ラストは思っていたのとは違い、残念だった。

また、少し系統は違うが「光市母子殺害事件」を連想してしまった。


そして映画を観た。大筋はあっており、東野圭吾氏が伝えたかったことは表現できていたと思うが、原作とかなり違っていたのには驚いた。仕方ないのかな。



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