上野日記

自分が主人公の小さな物語

重松清の『定年ゴジラ』を読んだ

重松清の『定年ゴジラ』を読んだ。1998年に講談社より刊行された単行本に「帰ってきた定年ゴジラ」を追加収録し、2001年に講談社文庫より再出版された長編小説(連作短編集)だ。直木賞の候補にもなったらしい。2001年にNHK BS2で、長塚京三・いしだあゆみ出演によるテレビドラマ化もされたらしい。

開発から30年、東京郊外の老朽化したニュータウンが舞台だ。銀行に42年勤めて定年退職した<山崎さん>が散歩で知り合った同じく定年退職した町内の人々と自分の居場所探しとそれぞれの交流を描いている。笑ったり泣いたり怒ったり、と……。
定年退職してぽっかり空いた心の隙間をどのようにして埋めようかと考えた<山崎さん>は、まずは散歩を日課とすることを決めた。暇だけど退屈ではない、自分にはやることがある、といきがる。嫁いだ長女は母親のことは「お母さん」というのに自分のことは「おじいちゃん」と呼ぶ、不倫で悩む次女との対応、健康のこと、でも何やかんやで一枚上手の奥さんには掌の上で転がされるような感じだ。でも、仕事と一緒で一生懸命なのは変わりない。
家庭を顧みず仕事一本やりで60歳まで働いてきた男たちは次の目標を見つけてまた頑張っていく……。長年住み慣れた町は家と駅との往復でしかなく散歩で初めて気づくこともあった。ひたすら走るだけではなく、人生には「ちょっと一休み」が必要なのかもしれない。

作者が文庫版あとがきで以下のようにふりかえっている。

父親の世代を主人公にした物語を、三十代前半の息子が、しかも三人称で書く。非才を顧みない無謀な試みだったかもしれない。父親の世代がマイホームに託した夢のかたちを探るのは、ある種の不遜な行為でもあっただろう、と認める。
 それでも、この物語を書くことで、ぼくは自分の暮らす年老いたニュータウンが少し好きになった。お手本だったか反面教師だったかはともかく、自分の考える夢のかたちを息子に伝えてくれた父親の世代を、ちょっと違うまなざしで見つめられるようになった。それが何よりも嬉しくて、同じ思いを読者の皆さんと分かち合えることができれば、と祈っている。

19歳で実家を離れ、大学を卒業するとそのまま横浜に住みつき、もう30年が過ぎてしまった。その間、両親を第三者の目として客観的に見ることはできなかったので、お手本にも判明教師にもならないのかもしれない。それができるような会話もしてこなかったのが一番の原因だけどね。もし、なったとしても伝える次の世代がいない。……考えれば考えるほど、ちょっと虚しくなってきた。

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