上野日記

自分が主人公の小さな物語

重松清の『きよしこ』を読んだ

重松清の『きよしこ』を読んだ。2002年に新潮社から刊行された、作者自身をモデルにした小説だ。作者は、吃音症(きつおんしょう、どもり)で、「カ」行の発音が苦手だったらしく、自分の名前「清」についても発音するのに苦労したらしい。

本小説は、吃音症に悩む主人公の少年「きよし」が小学1年生から高校3年生までの成長が7つの短編集に綴られている。少年は「カ」行と「タ」行と濁音で始まる言葉が苦手だった。話そうとする言葉が苦手な言葉だと別の言葉を探す。別の言葉が見つからないと、黙り込む。言いたいことが言えず、次第に内向的になる。父親の仕事の関係で転校が多かった少年は自己紹介が嫌いだった。自分の名前が「き」で始まるからだ。そして、クラスになじむのにも時間がかかるし、友達もなかなかできない。「野球」と「作文」が得意だったことが、救いとなり友達の輪を広げることができたが、吃音症には劣等感を常に持っていた。

吃音症を治すセミナーにPTA副会長の先生やってきて「胸を張って堂々として、吃音なんて恥ずかしいことではないんだから」と励ますが、こんなに恥ずかしいことを理解してくれないことに怒りを覚える。中学では、吃音をネタにする男子に対し「ひどいことばかり言うからいけんのよ、かわいそうやと思わんの?」という女子学級委員の言葉に「そんなことない!」と怒鳴る。少年の本当の気持ちは誰も理解していなかったのかもしれない。

作者は、当時のつらい体験や言えなかった胸の内をこの小説で伝えたかったのだろう。それにしても泣けた。声を出して泣いてしまった。


私の同期入社の友達が結構な吃音症だった。同期入社といっても会社は違う(関連会社)のだが、配属先の部署が一緒だったのだ。同じ九州出身だったこともあり、よく一緒に飲みに行った。戸塚駅周辺は安い飲み屋ばかりだが、きれいなお姉ちゃんがいてカラオケも歌える店も多少はあった。普通に飲んでいて緊張することもないのに彼はどもるのだが、カラオケを歌っているときは不思議とどもらない。理由を聞いたら「わからん」という答えだった。この小説を読んで、彼に対して、吃音症に関する話をすることをどう思っていたのだろうか、不愉快な思いをしていなかっただろうか、と思ってしまった。主人公の少年は成長に伴い気にしなくなったと言っていたので、彼もそんな感じだったのだろうか。

それから20数年、部署も別々になり、たまに飲みに行く程度だった。4年ぐらい前になるだろうか、彼が脳出血で倒れた。職場で仕事中に机に座ったまま、ゆっくりと眠るようにうつ伏せになったそうだ。緊急手術でどうにか一命は取り留めたが、後遺症で話すことができなくなったらしい。面会謝絶で見舞いにも行けなかった。しばらくして、宮崎の実家近くの病院に転院し、リハビリをしていると聞いた。その後どうなったかはわからないが、話せるようになっただろうか。

1年後に自分が小脳梗塞になるとは、その時は思っていなかった……。





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