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上野日記

自分が主人公の小さな物語

重松清の『かあちゃん』を読んだ

重松清の『かあちゃん』を読んだ。2009年に講談社より刊行された長編小説だ。「アゲイン」「リセット」「リピート」「ジャンプ」「トライ」「ドロップ」「リメンバー」「アゲイン、アゲイン」の8章から構成されており、登場人物それぞれの視点から描かれているので連作短編集ともいえるかもしれない。

概要をAmazonより引用:

同僚を巻き添えに、自らも交通事故で死んだ父の罪を背負い、生涯自分に、笑うことも、幸せになることも禁じたおふくろ。いじめの傍観者だった日々の焦りと苦しみを、うまく伝えられない僕。精いっぱい「母ちゃん」を生きる女性と、言葉にできない母への思いを抱える子どもたち。著者が初めて描く「母と子」の物語。

父親が交通事故で死んだ。中央線をはみ出してきた車を避けての不慮の事故だったが、助手席の上司も死亡した。母親はひたすらその上司の遺族に謝り続けたが許してはもらえなかった。それから笑わなくなった母親を20数年見てきた。自分も父親と同じ年齢になった時、母親がその上司の墓の前で心筋梗塞で倒れて入院したと知らせがあった。息子は母親が墓参りしていることも、遺族へわずかばかりのお金を毎月送っていたことも知らなかった。それが母親の「償い」だったと知る。
一方、遺族側の娘、そしてその息子(中学生)は親友をいじめで自殺未遂に追い込んでしまった。いじめっ子から無理やりやらされたことだったが、両親からは失望されたこともあり、自分も学校に行けなくなった。中2になり母の実家に引っ越し中学も変えたが東子することはできないでいる。そんな折、自分の祖父の交通事故の真実と20数年も謝り続けた人がいることを知り、元の中学に戻り頑張ることを決意する。頼りにならない担任の教師の母親は「伝説の教師」と言われるほどの人だったが、その教師は「ジュニア」と呼ばれ、陰では「マザコン教師」と揶揄されていた。母親には頭が上がらない。同僚の教師は産休後復帰したが、子育てと教師の両立ができない。両親、特に母親とぶつかり合う。いじめっ子は父親が会社の金の横領で首になりその金を女に貢いでいたと浮気もばれ、耐え切れなくなった母親は家を出ていった。父親は飲んだくれ、荒んだ家庭環境と失望感でいじめに走るのだが、上級生からはパシリや万引きの強要を受けていた。いじめを受けた少年は転向し落ち着いたが精神的な傷(過呼吸症候群)は完全に癒えていなかった。いじめを見て見ぬふりをしていた少女、いじめっ子の幼馴染で彼がなぜそのようになってしまったのか心配していた。家には認知症の祖母がおり、ひたすら介護する母親を見て冷たい言葉をかけてしまう。
いじめをした元親友たちといじめっ子そして彼が好きだった少女が逢いたいと担任を通して連絡してきた。「何を言われても絶対に許さない」、「許してほしいとは思っていない」、だから「忘れない」、「一生このことは忘れない」と…。少年少女たちにとって「大切な一日」になった。
喧嘩だったら「ごめん」と言えば許し合えるが、いじめは「ごめん」では許してもらえない。日本と中国や韓国との関係もそうなのだろうなぁ。謝罪や賠償だけでは相手も納得してくれないのかもしれない。

まぁ、いずれにしても、母親は子供のことをいつでも思っている。だから大切にしないと…、ということかな。


本書の「文庫版のためのあとがき」によると、作者は「ゆるす/ゆるされる」という人間関係を描いてみたかったという。裏を返せば「ゆるされない/ゆるさない」関係だと。それが、2007年の『カシオペアの丘で』、2009年の本書『かあちゃん』、同年『十字架』らしい。「ゆるすことについての三部作」としているらしい。『十字架』は昨年(2013年10月)に読んだので、『カシオペアの丘』もぜひ読んでみたい、

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