上野日記

自分が主人公の小さな物語

田中慎弥の『共喰い』を読んだ

田中慎弥の『共喰い』を読んだ。2012年に集英社より刊行された小説で、「共喰い」と「第三紀層の魚」が収録されている。「共喰い」は第146回芥川賞を受賞した。

芥川賞受賞時の「もらっといてやる」はテレビで何回も放送され話題になり、本の売り上げに貢献したようだ。

共喰い:主人公は高校2年の少年。暴力的なセックスをする父親。母親は近くに別居し、家には愛人がいる。自分にも父親の血が流れているのか、彼女とセックスをするときに首を絞めてしまい喧嘩をする。愛人は父親の子を身ごもったが家を出る。そんなとき事件が起きた。

第三紀層の魚:主人公は小学4年の少年。早くに父親を亡くし母と二人暮らし。近くには祖母(父親の母)と96歳の曾祖父(祖母の旦那の親)が暮らしていた。曾祖父は寝たきりで、戦争の体験の話を何度も繰り返す。そんな曾祖父が入院した。何度か見舞いに行くと、ある日元気に話をしてくれた。その夜に曾祖父がなくなる。自分が話をしたから亡くなったのか。でも涙は出ない。少年は少しだけ成長したのかもしれない。

『切れた鎖』を読んだときは知らなかったのだが、芥川賞受賞で色々とプロフィール等がテレビのワイドショーで放送されていた。4歳の頃に父親を亡くし、母親と二人暮らしだということもその時知った。『切れた鎖』の中の「蛹」はカブトムシがさなぎから羽化しようとし、父親を越えるような立派なカブトムシになれるかと悩む様子を描いていた。「共食い」も毛嫌いしているがある意味父親像を描いている。田中氏自身父親に対する憧れや憎しみ、そしてある種のコンプレックスを抱いているのかもしれない。「第三紀層の魚」の主人公も同じように4歳で父親を亡くした少年が主人公だった。自分の気持ちに素直になれない自分がそこにいたのかもしれない。

ただ、昨年4月に『切れた鎖』を読んだときもそうだったが、今回も理解できたか自信がない。それにあまり面白くなかった。芥川賞(純文学)はやっぱり性にあわないのかな。

© 2002-2024 Shuichi Ueno