上野日記

自分が主人公の小さな物語

星野智幸の『俺俺』を読んだ

星野智幸の『俺俺』を読んだ。2010年に新潮社より刊行され、2011年に大江健三郎賞を受賞した小説だ。5月に大江健三郎賞の発表があり即図書館に予約した。その時の予約数は59で、約3か月待ちで漸く読むことができた。

以下は、新潮社のWEBページの紹介文だ。

なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった俺は、気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎてもう何が何だかわからない。電源オフだ、オフ。壊れちまう。増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて――。現代社会で個人が生きる意味を突きつける衝撃的問題作!

産経ニュースのこちらのページ「 『俺俺』で大江健三郎賞受賞の作家・星野智幸さん 震災後も不毛な対立に終始する政治」も参考になるかもしれない。
主人公の<俺>がマクドナルドで隣に座った奴から成り行きで携帯を盗み、たまたまオレオレ詐欺をしてしまう。なかなか面白い展開になりそうだと思ったら、騙した女性がアパートで飯を作っている。そして<俺>を実の息子だと思い込んでいる。実家に帰った<俺>は実の母親から、あんた誰だといわれる。いつの間にか<俺>の名前が変わっている。「俺同士」の仲間ができ、世の中は「俺」だらけになる。……読んでいて頭がこんがらがってきた。最初「俺」とは、Twitterなどでつながっている人たち、顔は知らないがハンドルやニックネームを知っている人たちの集まりかとか、「今時の若い奴」とかと思いながら読んでいたけどそうでもなさそうだ。戦時中の統一思想を持った人たちの集合かとも考えながら読んでいた。でも、「俺」とは「他人への想像力を欠いた人」とか「自己中心的な人」を指していたのだとわかった。まぁ、ちょっと不思議な話だった。


以下のような件があった。主人公の<俺>が実の母親から他人呼ばわりされての帰りがけに<俺>が考え込むシーンだ。

家に帰り着いてそれを食べていると、次第に俺は惨めさにうちひしがれていった。今ごろ、のほうはおふくろに作ってもらったコロッケとか八宝菜とかキノコの炊き込みご飯とかを食べているのだ。やっぱり俺は体よく追い払われただけじゃないか、という気がしてくる。そう言えば最近は、おふくろからのメールもめっきり減っていた。俺がほとんど返事を返さないせいだと思っていたが、そうじゃなかったのかもしれない。二年前までは電話もしょっちゅうかかってきていて、就職できたんなら早く結婚しなさい、いい人見つけなさい、とうるさかった。

これって俺のことか。最近、メールも返事しなくなったので、ちょっと心が痛くなった…orz。

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