上野日記

自分が主人公の小さな物語

三浦しをんの『私が語りはじめた彼は』を読んだ

三浦しをんの『私が語りはじめた彼は』を読んだ。2004年に新潮社より刊行され、2005年に山本周五郎賞の候補になった小説だ。「結晶」「残骸」「予言」「水葬」「冷血」「家路」の連作の短編で構成されている。それぞれ独立した短編ととらえてもいいし、一つの長編小説ととらえてもいいかもしれない。「家路」は書き下ろしで、他は『小説新潮』2002年10月号から2003年12月号に掲載された。

一人の男性(大学教授)に関係した人物(妻、息子、娘、不倫相手、再婚相手、その娘、弟子)がそれぞれ主人公として登場し、それぞれ一人称(私、俺、僕)で書かれている。最初の「結晶」と最後の「家路」には20年以上の歳月が流れている。一人の男性<彼>の不倫からそれに振り回され、人生の歯車を狂わされていく主人公たち。そして心の隙間を一生懸命埋めようとしていたのかもしれない。

各短編は一人称(私、俺、僕)で語られ、それぞれ主人公が異なる。では、題名の<私>は誰を指しているのだろうか。<彼>は大学教授の男性を指しているのは分かるが、<私>が誰なのかわからない。全体は誰の目線で語られているのだろうかと不思議な感じがした。


本書を読もうと思ったのは山本周五郎賞の一覧を眺めているときふと作者の「三浦しをん」というのが目に入ったからだ。高校の同級生に「しおん」という女性がいた。漢字だったかもしれない。苗字は忘れてしまった。クラスが同じになったこともなく、もちろん話したことはなかった。じゃ、なぜ覚えているかというと「可愛かった」からだ。異国風の顔立ちで瞳が深緑っぽい色をしていたのが印象に残っている。という想い出だけで本書を読んでみようと思ったが、なかなか面白い小説だったので選んで正解だった。他にも直木賞の作品とかあるので機会があれば読んでみようかな。

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