上野日記

自分が主人公の小さな物語

大地震発生

啓蟄はとっくに過ぎたのに朝はとても寒い。それでも、午後からは暖かい日差しに包まれぽかぽか陽気になった。録画していた「笑っていいとも!」も見終わったし、そろそろ晩飯でも買いに行くかとダイエー戸塚店にブラブラと向かった。金曜日は特売日でもないので、昼過ぎの店内はそれほど込んでいない。ほとんど主婦か老人たちだが、中には若い親子連れもいる。惣菜関連を中心に一通り食料品等を買い、レジを済ませ外に出ようとしたら薬局が目に入る。そういえばと花粉症用の目薬が切れているのを思い出した。花粉症対策としての目薬は何種類もあり、どれにしようかとしばらく悩む。優柔不断がこんなところで災いする。結局一番安い目薬を手に取りレジに向かうと、品のいい初老の女性がレジを対応してくれた。そこで会計をしているとコトコトとした振動が床から足に伝わってくる。なんだろう……どこかで工事でもしているのだろうか、と思ったくらいの小さな振動だ。(レシートの時刻は14:47だったので、1,2分で横浜まで揺れが到達したようだ。) 薬局をでて自動ドアを抜けダイエー建物の外にでると、人々が不安そうな顔をして上を見ている。建物の外といってもここはまだ2階で下には駐車場がある。立ち止まると地面(床)が揺れていた。後ろを振り返った瞬間にダイエー店内の電気が一斉に消えた。誰かが停電だと叫ぶ。そして、揺れがだんだん激しくなり、建物が揺れる音も大きくなったと思ったら、近くで悲鳴が聞こえる。あわてて外階段を降りアスファルトの地上に降りると、さらに揺れがひどくなりまっすぐ歩けない。周りの人々はしゃがんでいたり、大きな木につかまっていたりと不安そうな面持ちだ。女の子がはげしく泣き出した。両親がそばにいるのにそんなに大声で泣かなくてもと思っていたら、さっき店内では大きな声で歌っていた女の子だった。その歌声は内心うるさいなと思っていたのに、外でもうるさかった。しばらくすると揺れが弱まり、そのまま家に帰った。
自宅に着き玄関の扉を開けると、靴箱にぶら下げていた傘と靴ベラが落ち、スタンドに立てていた自転車(ロードレーサー)が「やられたぁー」みたいな恰好で倒れていた。自転車は廊下をふさぐような形で倒れていたので、外に逃げるような緊急避難時に問題があるかもとちょっと考える。台所を見ると、立てかけていたまな板がレンジの上に、箸立にしている背の高いコップと胡椒瓶が倒れ、湯沸かしの電気ポットがシンクに落ちていた。コップが割れなかったのは助かった。寝室を見ると、本棚上部のキングジムファイルや本が数冊落ち、机の上のブックエンドに挟んでいた書類が下に落ちていた。本棚をよく見るとちょっと斜めにゆがんだみたいだ。本棚に対して横方向の揺れだったのだろう、前に倒れなくてよかった。

停電で水もでない。まだ停電はいいけど断水はほんと困る。でも、それより余震が繰り返し発生し、しかもその揺れが大きいので、部屋にいるとちょっと怖い。とりあえず、外に出ることにした。冷蔵庫にはビールはあるが、水系がないのでコンビニ(セブン・イレブン)に行ってみると、店内の電灯は消えていたがレジは動いており、2リットルのお茶を買ってきた。

地震直後には携帯は使えネットへのアクセスもできたのだが、しばらくしたら不通になった。Twitterで「宮城で震度7」をちらっと見ただけで、それ以降地震の情報を得ることができなかった。コンビニに行く途中でラジオを聴いている中学生ぐらいの少年に状況を聴いたところ、神奈川東部で「震度5弱」と知り、あの揺れだったらそれくらいあるだろうなと思った。停電で信号機も使えないので、道路が混みだしていた。緊急車両のサイレンがあちこちで聞こえる。

携帯がつながらないので、戸塚駅に向かってみた。田舎に連絡しないと心配しているかと思い、公衆電話も探してみた。戸塚駅は人でごった返していた。戸塚モディの裏の広場にはビルから避難した人が集まっていた。近所の日立ではヘルメットをかぶって社員が非難していた。ようやく駅ビルで公衆電話を見つけたが、そのには待ち行列ができていた。実家に無事であることを伝えたが、妹に連絡するのを忘れた。……後ろの人に順番を譲った後だったので、まぁいいかとそこを離れた。

余震もそろそろ落ち着いたかなと思い家に帰る。腹が減ったのでダイエーで買ってきた餃子を食べることに、でも停電で電子レンジが使えない。冷たい餃子をちょっとぬるくなったビールのつまみにする。餃子は冷たくて不味く、ビールはぬるくて不味かった。こんな不味い餃子を食べたのは初めてだ。と思っているとふすまの向こうから目覚まし時計のような電子音が聞こえる。「ピッピッピッピッ!」を繰り返す。体重計の壊れた時のような単音ではなく連続音だ。どこから聞こえるのかわからない。ADSLモデム、無線LAN、PC、電子レンジ、……電話機の受話器を上げると、妹からの電話だった。停電でも固定電話は使えるというのをようやく思い出した。ガスも自動遮断していただけで、ガスメータのボタンを押したら、問題なくガスレンジが使えた。

日も暮れて真っ暗になっても電気は復旧しない。携帯もつながらない。後輩の結婚式で貰ったろうそくがあることを思い出した。携帯の明かりをたよりにろうそくを探し、マッチもライターもないのでガスレンジの火を利用して火を点けた。やわらかで温かみのある炎はどうにか読書ができるくらいの明るさだ。明かりがあるうちにと歯磨きをした。コンビニで買ってきたお茶で口を濯ぐ。ミネラルウォーターにしなかったことを後悔した。

ろうそくの中央が凹みだしたので、周りのロウを削って中央に寄せていたら、大きなかけらが芯に当たり火が消えてしまった。しかも、芯がとけたロウの中に沈み回復不可能に……、真っ暗闇、とほほ。やることもないので、時間はまだ7時だが寝ることにした。ベッドに入るがやっぱり寝られない。しばらく布団のなかで、寝られずに寝返りをうっていたら、外から室外機の音が聞こえてきた。枕元の電話の子機を見ると充電中ランプが付いていた。ようやく電気が復旧した。もう8時半のことだった。こんなに長い停電は、子どもの頃に経験した台風以来ではないだろうか。

テレビを付けるとすべてのチャンネルが地震を報道している。M8.8国内最大規模の地震だったらしく、その被害も甚大で、7mを超える大津波も押し寄せてきたらしく、死者もかなり出ているらしい。

このブログを書いている最中も細かい余震が断続的に発生しており、恐怖を感じる。とんでもない一日になった。明日になるともっと被害の状況が明らかになるに違いない。

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