上野日記

自分が主人公の小さな物語

五木寛之の『人間の覚悟』を読んだ

五木寛之の『人間の覚悟』を読んだ。2008年11月に新潮新書から発行されたエッセイだ。この手の書物が、エッセイに分類されるのかはよくわからないが、五木氏の考えがまとめられている。

「そろそろ覚悟をきめなければならない」で始まる。「いよいよこの辺で覚悟するしかないな、と諦める覚悟がさだまってきたのである。……『諦める』は、『明らかに極める』ことだ」と続く。そして、「生きることの大変さと儚さを胸に、この一日一日を感謝して生きていくしかない。そう覚悟しているのです」と締めくくられている。
章建ては、「第1章 時代を見すえる」「第2章 人生は憂鬱である」「第3章 下山の哲学を持つ」「第4章 日本人に洋魂は持てない」「第5章 他力の風にまかせること」「第6章 老いとは熟成である」「最終章 人間の覚悟」となっている。

第3章で、古代インド哲学で人間の一生を学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき)の四つに分ける考えがあると述べている。今の時代に当てはめると、25歳くらまでがさまざまなことを学びトレーニングを積む「学生期」で、50歳までが結婚して子どもをもうけて家族を養う「家住期」だと。そして以下の文章に続く。

しかし、50歳をすぎたら今一度人生をふりかえり、自分の生きたいように生きる、できれば自分のために働くのをやめて、無償でも人のためになることをする。それが「林住期」なのだと思います。そして75歳ぐらいからは、とことん自分を見つめる「遊行期」であり、いつ来るかもしれぬ死を前に回帰していく時期となります。

私自身「家住期」は十分ではなかったが、「林住期」に差し掛かってしまった。ふりかえり何か答えを探したのだがなかなか見つからない。「世間は『あきらめない』ことを賞賛しますが、『あきらめる』は決して弱々しい受け身の姿勢ではなく、正しい覚悟をきめる上では不可欠なのだと思います」とあるように、私自身も潔く何かを「あきらめる」必要があるのかもしれない……。

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