上野日記

自分が主人公の小さな物語

カポーティの『ティファニーで朝食を』を読んだ

村上春樹訳、トルーマン・カポーティ(Truman Capote)の『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany's)を読んだ。1958年に出版され、1961年にオードリー・ヘップバーン主演の映画で有名だ。この本は「2008年2月に村上春樹による新訳が新潮社より出版されて話題となった」らしいく、その12月にこの文庫本が出版された。短編として『花盛りの家』『ダイアモンドのギター』『クリスマスの思い出』も収録されている。

本屋で物色中に、背表紙の『ティファニーで朝食を』という文字が見に入る。「あー、映画のあれね」程度だ。でも内容を思い出せない。買うつもりはなかったのだが、ふと手に取ると「村上春樹 訳」と書いてあり、ちょっとびっくりしながら思わず買ってしまった。
本を読み終わっても未だに映画の内容を思い出せない。観たはずなのに……。オードリー・ヘップバーンティファニーの前でコーヒーを飲みながら何かを食べている、ギターを弾きながら「ムーン・リバー」を歌っている、二人でお面を万引きした、変な日本人がいた、……ぐらいだ。原作と映画はちょっと違っているらしい。
「訳者あとがき」に村上春樹が以下のように書いている。

(映画の影響で)主人公ホリー・ゴライトリーについ、オードリー・ヘップバーンの顔が重ねられてしまうことになる。これは小説にとってはいささか迷惑なことであるかもしれない。というのは、作者トルーマン・カポーティは明らかに、ホリー・ゴライトリーをオードリー・ヘップバーンのようなタイプの女性としては設定していないからだ。カポーティはヘップバーンが映画に主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられている。おそらくホリーの持っている型破りの奔放さや、性的開放性、潔いいかがわしさみたいなところが、この女優には本来備わっていないと思ったのだろう。

たしかにヘップバーンのイメージとしては映画『ローマの休日』からくる清楚なお嬢様タイプなので、そこのギャップを感じたのかもしれない。ただ、主人公のホリーもきれいで20歳にしては魅力的な女性のようなので、ヘップバーン以外には考えられなかったのかもしれない。もう一度映画を見てみたいものだ。


先日ブログ(グレート・ギャツビー)でニューヨークに行った話を書いたが、もちろん5番街の「ティファニー」本店にも立ち寄ってみた。観光名所なのだろう人がたくさんいて、とてもにぎわっていた。もちろん何も買わずにそこを後にした。ただ、ボストンにもティファニーがあり、妹の結婚祝いに置時計を買ったのを今思い出した。ボストンの空港で、X線による手荷物検査に引っ掛かり、カバンの中を開けさせられた。検査のおばちゃんが「オー、ティファニー!」とちょっとおどけたようなビックリしたような声を出し、にっこりしていた。

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