上野日記

自分が主人公の小さな物語

三島由紀夫の『金閣寺』を読んだ

三島由紀夫の『金閣寺』を読んだ。もう、何年前に買ったのか分からないほどだ(消費税が3%なので平成になってからという事だけは分かる)。そして、読み終えていなかった。栞が30ページあたりに挟んであったので、そこで力尽きて読むのをやめていたのだろう。昭和31(1954)年の作品で、文章は難しく読みづらい。そのひとつの要因が漢字、クイズ番組に出てきそうな難解な漢字がたくさん使われているのだ。ま、振り仮名が付いているので読めることは読めるが……

何故買ったか分からないが、たぶん有名な小説だから読んでみるかという軽い気持ちだったかもしれない。Wikipediaには以下のような記述がある。

精緻な文体で記述され、近代日本文学を代表する傑作の一つと見なされる。多数の言語に訳され、海外でも評価は高い。

小説は、1950年7月2日未明の「金閣寺放火事件」が題材になっており、放火した見習い僧侶の青年が主人公になっている。内容は事実とかなり異なっているらしいが、青年が金閣寺に対する「美」の思いを中心に心理描写や精神的な問題が描かれ、金閣寺を消失させることがその解決策として犯行に至っている。

村上春樹の文章も一文一文の描写がとてもきれいだったが、三島由紀夫の文章も表現力が素晴らしく、読んでいて「どうしてこんな文章が書けるのだろう」と不思議に思うくらいだった。大作家に対していう言葉ではないが……

金閣寺放火事件は私が生まれる前なので、今まで事件そのものを意識したことはなかったし、テレビの番組でちょっと紹介されていたのを観た程度だった。『金閣寺』を読んだ後、事件の経緯を調べたら、事情聴取で警察に呼び出された母親がその帰りに自殺したとあった。あまりにも悲し過ぎる。彼はどんなことを感じていたのだろうか……


金閣寺といえば、高校の修学旅行を思い出す。もう34年前の話で、京都・奈良・東京を1週間ぐらいかけて旅行した。記憶はかなり薄れているが、金閣寺がとてもきれいだったのは忘れていない。鏡湖池に映る写真を何枚か撮ったはずだ。その写真は今どこにあるのだろう……

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