上野日記

自分が主人公の小さな物語

五木寛之の『運命の足音』を読んだ

五木寛之の『運命の足音』を読んだ。『大河の一滴』『人生の目的』に続くエッセイだ。裏表紙には「著者渾身の告白的人生論」とある。

「五十七年目の夏に」「運命の足音が聞こえる」「新しい明日はどこにあるのか」「命のあるものへの共感から」「運命の共同体としての家族」というサブタイトルで話が綴られている。特に「五十七年目の夏に」は両親の想い出、といっても戦争でのつらい体験が記されている。あとがきに以下のような記述がある。

小説を書きはじめて以来、何度その出来事を作品に書こうと考えたことだろう。しかし、私には、母親のことも、その他のことも、小説というかたちで作品化することにつよい抵抗があって、書けなかったのだ。<中略>
 私がいま、やっとのことで書けるようになったのは、私の心の変化ではない。「もう、書いてもいいよ」という母親の声が、どこからともなく聞こえるようになってきたからだ。

平壌での終戦、それから1カ月後の母親の病死は五木少年のこころの傷となって57年もの長い間残っていたのだろう。たびたび終戦の話や両親の死の話は出てくるが、この本に語られている残酷な記憶が五木文学の根底にあるのかもしれない。

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