上野日記

自分が主人公の小さな物語

ブログはエッセイなのか

「エッセイ」を辞書(Yahoo辞書:大辞泉)を引くと以下のようにある。

エッセー【essay】《「エッセイ」とも》
1.自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。
2.特定の主題について述べる試論。小論文。論説。

「自由な形式で意見や感想を述べた散文」だったら、たしかにブログもエッセイだよなと思った。「随筆」「随想」と聞くと違った感じがするが、もちろん意味は同じだ。「試論」、「小論文」、「論説」となると、ちょっと固いね。「まじめなことを書かないとダメ」と感じてしまう。その点「ブログ」は気楽でいい。「意見・感想」でなくても、その日の出来事も書ける……「夕焼けがきれいだった」とか。となると、やはりブログはエッセイではないのか。
子どもの頃から本を読むのは嫌いだった。小学生の頃は江戸川乱歩、中学の頃はホームズ、高校生の頃はエラリークイーンを十数冊読んだ記憶がある。エラリークイーンはたしかに面白かった。長編推理小説を読んだのはこの頃からだったと思う。おっと、横溝正史も読んでいたような気がする。たぶん1,2冊だろう。こんなこともあって国語の授業はとても苦手だった。「文章から作者は何がいいか」なんてとんでもない。特に小学校の時の「作文」は最悪だ。トラウマになっているかもしれない。書くネタがないし、見つかったとしても「出だし」が書けない。「うーん、うーん」と唸っている間に給食の時間になったのを今でも鮮明に記憶に残っている。その時かどうか忘れたが、「作文は苦手だ」という作文を書いた記憶がある。読書が好きだったら、もっと違った人生があったかもしれない。

大学生になって、これじゃ不味いからと思い夏目漱石を読み始めた。有名どころの十数冊は読んだと思う。退屈な講義中に読み、感動した文章を紙に書いて隣の友達に渡しては鬱陶しがられたものだ。そうこうしているうちに「五木寛之ファン」になってしまった。そのいきさつはここに書いたとおりだ。

初めて読んだエッセイは、五木寛之の『風に吹かれて』だ。30年近く前になるだろう。その本を読んで何を感じたかは恥ずかしながら忘れてしまった。内容も思い出せない。「メロンパン」の話(五木さんがどこかでメロンパンが好きだという話をしたら/書いたら、メロンパンがいっぱい送られてきた)を思い出し検索してみたら、それは『ゴキブリの歌』に書かれていた内容だった。編集社から電話が頻繁に掛ってくるので、布団に巻いて押し入れにいているという「スズムシ」の話も思い出した。雨の前の日に洗車の話だったが、雨の日に新しい靴をおろす話だったが、取りとめない話があったような気がするが、そこには教訓めいたくだりもあったように思う。

このようにエッセイも日常の何気ない出来事で構成されている。その日感じたことを素直な感覚で文章にしてみる。ひょっとしたら、この50年の人生も素直な文章で綴ったら面白いものになるのかもしれない。それは「エッセイ」ではなく「ブログ」でもいいのかもしれない。そこに教訓めいたことは何も書けないかもしれないが……。

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